三人で近くの駒場公園の駒場東大教養学部の中に移築されている重要文化財旧前田家本邸を見学、華族様の館です。
いや^^^広い、一人ではきっと迷子になります。
京王井の頭線の駒場東大前駅西口から、徒歩13分くらいの駒場公園の敷地内に、旧前田家本邸はあります。
加賀百万石、旧前田家の邸宅。和洋建築の粋を集めた洋館は昭和4年に、書院造りの和館は昭和5年の完成。
![]() 駒場公園交通案内 | ![]() 駒場公園案内マップ |
![]() 駒場公園東門から入場 | ![]() 和館の前を通り洋館へ |
さすが加賀百万石の末裔前田侯爵のレンガと石の邸宅です
前田家の建築はご当主様が海外生活が長かったようで鉄筋3階です。
洋館、和館に分かれ、30mの建物内部の長い廊下で繋がっています。
洋館も和館も天井は高く、内部のセントラルヒーテングだったように思います。
カーテンも緞帳のように重厚でイギリス製、昭和4年〜5年にかけて建造されたようで、古さは余り感じません。
今だに日焼けもせず、しっかりとした作りに驚きました。
【旧前田家本邸洋館見学】
正面玄関で、靴をビニール袋に入れて各自で持ちながら館内へ。
ガイドボランティアによるガイドツアーに参加しました。
ボランテアの案内の男性は前田家の内部をかなり詳しくご存じのように思えましたし、上品な紳士でした。
前田侯爵死後,私人の手に渡り、終戦とともに占領軍に接収され、本来はマッカーサーが住むことになっていたらしいが、あまりの広さゆえに警備の問題等で、
横浜ニューグランドホテルに居住したと説明がありました
![]() 旧前田家本邸洋館正面玄関 | ![]() 天井の高い重厚な階段広間 |
正面玄関を入るとお客をもてなすための、豪華なシャンデリアで彩られ、赤絨毯が敷かれた重厚な「階段広間」。

階段下には、作り付けの暖炉とソファーがあり、
お客様のおもてなしのスペース
(イングルヌック=暖炉脇の暖かい休憩スペースと言うらしい)、になっています。
1階は、お客様をおもてなしするスペースとして、晩餐会がおこなわれる大食堂、大小客室、応接室が配置された間取りです。
まずは玄関を入り直ぐ左の部屋「第一応接室」から見学。
白いマントルピースが、黄色をモチーフにした暖かい色合いの居室にマッチして素敵です。
外を眺めると、芝生広場が開放されているので、一般の方が芝生で寛いでいる
![]() 1階の第一応接室 | ![]() 応接室から芝生広場を見る |
![]() 第一応接室から続くサロン | ![]() サロンを出て小客室へ |
第一応接室から続く、階段広間と同じ装飾の柱、壁、床で、正面にカガミ付きの大きなマントルピースのある「サロン」。
以前はこのサロンにカフェ「マルキス 」があり、コヒーなどのドリンクサービスがあったそうですが、
今は、テーブルと椅子がセットされていて、見学者が自由にドリンクが飲める休憩処も兼ねています。
ゆっくりカフェタイムを、優雅な空間で、だったらここが一番かもしれませんね。
続いて「小客室」と「大客室」へ。仕切りを調節すれば小客室と大客室は連結するので、
招待客の人数に合わせて広さを調節できるようなっている
マントルピースはダークな色使いでワンポイントになっています。
![]() 小客室から大客室を見る | ![]() 階段広間から大客室を見る |
![]() 晩餐会のための大食堂 | ![]() 家族が食事をする小食堂 |
白大理石のマントルピースが中央に据えられた「大食堂」は晩餐会のためのもので、最大26名の食事ができ、
壁や天井にチーク材を利用しているので、落ちつきのある雰囲気に。窓も大きくて庭の景色がよく映えます。
奥に「小食堂」が見えますが、家族が食事をするときは、奥の小食堂を利用していたそうです。
代々使われていた銀の食器が飾られていたり、当時の使用人は130人以上いたとか。
小食堂の壁には配膳リフトが取り付けられており、地下の厨房から食事が運ばれてくる仕組みとなっています。
ドイツのノイシュバンシュタイン城のように下の階で料理を作り1階に小さなエレベータで運ぶような設計でした。

1階と2階を結ぶ曲線階段の、ステンドグラスをはめ込んだ窓から、
自然光が後光のように射し込み、
重厚な手すりには、職人による緻密な浮き彫りが施されています。
![]() 3連アーチステンドグラス窓 | ![]() 右:夫人室、正面:三女居室 |
![]() 職人による緻密な浮彫り | ![]() 今も正確な時を刻む大時計 |
2階は当主の書斎をはじめ、家族の居室、夫妻の寝室、奉公人室(女中室、従者室)、図書室などで構成されている
青を基調にした、次の間付きの、前田公の執務室「書斎」には、穏やかな微笑みを浮かべた夫人の肖像画も。
カーテンの金糸の刺繡も青にマッチして、重厚な雰囲気が出ています。
2階で最も華麗なお部屋が「夫人室」。
パープルの壁紙に紫の絨毯に赤いソファ、パープル系を基調にした内装はエレガント。
![]() 書斎には夫人の肖像画も | ![]() 2階で最も華麗な夫人室 |
![]() 公爵夫妻の寝室 | ![]() 2階廊下から中庭を見る |
「寝室」は黄を基調に、壁紙は金と銀。窓際には夫人の化粧台、ベッドヘッドの上には前田家の守り刀が置かれています。
随分前にテレビで、酒井家に嫁がれた酒井美意子さん、着物学園の理事長、マナーの教師、著述家で素敵な女性でした。
着物、マナー共に最高の織物、または昔から引き継がれたものなどを拝見し、映像を通して着物の素晴らしさ、着方が勉強になりました。
ただ、偉そうなところはありましたが、彼女の生まれ育ちを考慮してもそれは当然ねえ、
美意子さんのお気持ち充分に解ります。
だって、世が世であれば加賀百万石のお姫様ですものねえ
前田家では下女中、上女中、使用人合わせて136人にかしずかれ??
4歳からイギリスに住み、帰国後は女子学習院で学び、終戦後は身分剥奪でも、
華々しく宮内庁の話、公家の話、マナーの話でどれをとっても解りやすく、自立した女性でした。
少々鼻が高くても良ろしいのでは。
女子学習院でもかなりお高く留まっていらったとボランテアの方もご存じの様でした。
【旧前田家本邸和館見学】
旧前田家本邸の和館は、主に外国からの賓客のおもてなしに利用していた純和風建築です。
玄関で靴を脱いで、アルコール消毒を済ませると、あとは自由に見学です。
和館2階と1階の「茶室」「小座敷」は通常非公開ですが、ガイドツアーに参加すると見学できるとのことなので、
ツアーに参加し2階と小座敷は見学しましたが、茶室は本日貸し出し利用中だったので見学できませんでした。
![]() 旧前田家本邸和館玄関門 | ![]() 玄関 奥に御次之間が見える |
和館のコンセプトは、海外の賓客をもてなす様な設計で天井もとても高いです。

全体で40畳もある大きな広間となっています。
それと茶室と同じく、貸し出し利用が可能な、茶釜付の「小座敷」の3室があります。
御客間には鳥居型の違い棚、窓側は明障子付きの付書院を供えた書院造りとなっており、床の間は二間ある大きな床となっています。
![]() 手前の御次之間と右奥の御客間 | ![]() 御客間の鳥居型の違い棚と二間の床の間 |
![]() 明障子付の付書院と火燈窓 | ![]() 御次之間と御客間境の欄間 |
広間の南側には入側座敷と縁側が巡り、その外に水を配した池泉庭園が広がります。
茶釜付の1階の「小座敷」廊下の杉戸絵、菖蒲なのか燕子花なのか分からないそうです。
![]() 貸し出し利用可能な小座敷 | ![]() 小座敷廊下の杉戸絵 |
![]() 入側座敷と縁側の間の廊下 | ![]() 入側から池泉庭園を見る |
茶室などは何十人と持てなすことができる広さ、庭の設計も春夏秋冬季節に合わせ、冬はスキーまでしていたそうです。

橋本雅邦が描いた杉戸絵のある「御書斎」の2部屋があります。
1階は格式を重んじた豪華な造りが特徴の書院造りですが、2階は数寄屋造りで様式が違うとのこと。
数寄屋造りは、茶道の精神と美意識を反映した建築様式で、格式にとらわれない洗練された自由な形状を持つのが特徴です。
![]() 中2階より2階を見る | ![]() 2階御書斎の松の杉戸絵 |
![]() 中2階にある浴室とトイレ | ![]() 浴槽とボイラー |
2階への階段踊り場、中2階には白タイルの浴室とトイレがありました。
日本で初めてのTO-TO製の洋式トイレバスルーム、当時の建て方として珍しいのでしょうが、
横浜に150年以上前の外国人自らの建築物があり、それらと比較するとちょと現代風です。
2階御居間の床の間は、唯一当時のものが残っている壁で、加賀らしく金粉が使われています。
2階から見下ろした庭園の眺めは見事でした。小滝を左奥に配置し、川の流れを模した池に鯉を放ち、
水の流れを楽しめるよう設計された池泉庭園を眺めることが出来ます。
![]() 丸窓が印象的な御居間 | ![]() 加賀らしく金粉吹きの壁 |
![]() 小滝を配置した池泉庭園 | ![]() 鯉が泳ぐ池泉庭園 |
しっかり重要文化財を見学し、帰りは電車には乗らずブラブラとショッピングをしながらマンションまで歩きです。