23日から27日までの5日間中国桂林に、龍勝棚田、桂林観光、大鍾乳洞冠岩、漓江下り、陽朔観光と、山水画の世界に見聞を広げてきました。
広州空港も広いですねー、天井は相当高く広々としていました。
翌日からは精力的に 「龍勝棚田」 の見学、ま^^^山の中腹の登山道入口までは車ですがその後の山登り初めてです。 殆んど階段です。
登山道入口と頂上展望台の中間点にある民宿風ホテル「龍穎飯店」にチェックイン後、一服して頂上「七星伴月」を目指します。
上は見ないようにして足元だけをしっかり見つめ足を踏ん張って 一人がやっとの細い道を「よいしょ、こらしょ」 一歩ずつ滑らないように山際に沿って歩く、歩く、歩くのみです。 反対側は谷底です。
稲が刈り取られていなかったので、青と畑の淵の黄色のコントラストがとても綺麗に作られた素晴らしい棚田に感激でした、先人の知恵ですね 山のてっぺんまでが開拓され民族の糧となっているのですね。 夕焼けの美しいこと、自宅の周りでは見ない 「しおからトンボ」 からも歓迎を受けました。
棚田登山前には、麓にある長い髪が特徴の少数民族「ヤオ族」の村「黄洛ヤオ寨」で昼食と民芸品の手刺繍を楽しみました。
最初はとても高く値段がついているのですが交渉しだいで信じられない安さになり、同じグループの人達は抱えきれないほどの買い物を楽しんでいました。
ヤオ族の民族衣装は刺繍が素晴らしく、とても色使いが派手なのにどこかそぼくで優しくほがらかさんはスカートやストール、テーブルセンターを求めました。
郷土料理は野菜中心、僅かなタンパク質と豊かな穀類です。
特に美味しかったのは竹筒ご飯、五目御飯のようですが竹筒で炊いてあるので若竹の味もあり、もち米がとても美味しかったです。
肉類魚類もありましたが聞いたところ、「どじょうのから揚げ」が一番美味しいとかで出てきたものは黒くておそるおそる箸を伸ばしましたが食べた後の味はなんとも微妙??。
夜は真っ暗な闇の世界を経験し、電気のない世界は空が綺麗、満天の夜空から星が降ってくるような感覚にも感激、特に北斗七星が真上で輝いていました。
翌朝の山下りも大変、荷物運びの馬にあおられながら高い山々を眺め、「いやー素晴らしい景色」 どこまでも続く棚田に本当に感動しました。
龍勝棚田は山の高さと歩くことの多い旅で閉口し、人工股関節も「かんべんして^^^」と驚きです。
バスで桂林に戻り市内観光です。
「象鼻山」や「駱駝山」など動物の姿をした珍しい岩山があり、観光の名所となっています。
畳彩山は漓江に臨んでいて、頂上の拿雲亭から市内全景を一望でき、ここから見る夕日は素晴らしかったです。
世界一の鍾乳洞も楽しみました。 地球の内部はこんな場所もあるのねーとため息です。
案内では台湾の大富豪が50年間の借地で開拓したようですが50年後は返還するそうです。
内部は約10kmを観光化され、歩くのみではなく、ボートにも乗ったりまたトロッコ鉄道にも乗ったりと、それにとても綺麗な水で冷たくは無く泳ぎたい心境でした。 魚もいますが目無魚だそうです。
つまり暗黒の世界ですから目が必要ないのですね。
ハイライトの桂林漓江下りは本当に山水画、水墨画の世界でした。
随分前から憧れていましたので意気揚々と、「わーすごいねー、こんな山もできるのねー、いやーいやー信じられないねー」を連発しながら35度の暑さにもめげず4時間の船旅でした。
サントリーのウーロン茶のコマーシャルに出てくる山も絶景といわれる場所もしっかりと目に。
桂林の街に戻る頃ちょうど山々に霞がかかり、真っ白で山は影ほどしか見えず、薄い霞で墨の濃淡をおもわせる桂林の不思議な景色にも遭遇し 「来て良かった!!」 本当に堪能しました。
人工股関節には本当に過酷な 「桂林」 この景色を次回は雪の季節に。
よく歩かれましたね。いったい何歩位になっているのでしょうか?
中国はわたしもちょっとした理由があって訪れてみたい憧れの国です。次第に足が衰えてきて諦めていた訪問先です。いつかはわたしもほがらかさんの様に行きたいです。ただ、パートナーがねぇ〜・・・。調達出来ないんですよ。
墨絵の景色とても好きです。アジアの食事が好きなので、香辛料など気にならずに食べれる私ですが、ほがらかさんも美味しい旅になられたようですね。
また、次の旅を計画しておられるのでしょうね?サイボーグが落ち着いた頃、ご一緒させて下さい。
すぐに中国の旅にコメントを入れたかったのですが、この数週間わたしは母に掛かりきりで、仕事→母→家→ハル・カイの世話→寝るの繰り返しでした。
母は遺伝性はなくある種後天的な、現代ではよくある人格上の病気のために、(ちょっと前までは変わった人で済まされていたけど、今は病名が付いています)ケアマネージャー、ヘルパーさんなどと人間関係が築けず施設入所も出来ず家族の生活まで破壊するため、現在独居です。40年ほど教師をしていました。子供達を指導することに掛けては一目置かれたプロとして長く教育界では愛された人です。
一人っ子であるわたしがずっと日常人としての母をフォローしてきたのですが、公人としての自分を失った時から病気としての人格異常性が全面に現れてしまいました。
自分の人生を掛けて母を見守って来たのも数年前に限界を向かえ、別居し足の手術に踏み切りました。
一度老人性の公立の精神病院に入院すれば全てが上手く動くと5人の行政人から我が家に来てまで言われ入院したのですが、いざ退院したら今までのケアマネージャーは病院では使えないと切られていて、入所が拒否になったために次は自分で探して下さい、とのこと。退院の日に母を交え8人の関係者で10時間話し合った結果、自費で一日12000円の家政婦を雇って生活しろとのこと。
わたしにしたら上手く騙されたとしか思えません。こんな宙ぶらりんな放り出し方って何でしょうか?病院でも何の治療もなく投薬もなく、この病気はカウンセリング対象とのこと。そんなことはよ〜くわかってます。最初に何度も説明したのに・・・。行政を甘く見過ぎました。
85歳になる母には介護度2があっても、行政も家族で何とかしろと知らん顔です。
また明日から母のケアマネージャーを捜す日々の始まりです。
な〜んかわたしの怒りのコメントになっちゃいました。ごめんなさい。
またです。
怒れる事無かれ行政とは其の名のとおり名ばかりで私も本当に体が自由が利かなくて区役所の福祉課にお願いに行きましたが3級でも手助けは無かったです。
歩くのもはーはー言いながらでもだめでした。
だからそれ以上頼ったことは無く全ては家庭でやってきましたが家族がたくさんいればまだ手があり良いけど本当に一人では何もかもは無理ですよね。
反対に「何故この人が・・・」と思うこともあり決して万膳とは言えません。
自分のことは自分で守るしか手立てが無いのが現状でしょうか?
でも40年間日本を担ってくれる子供たちを教育なさったお母様なのに手立てはないのでしょうか?
お寒い日本ですね。
例え自宅で療養していたとしても85歳を過ぎたら公共で元気でいるのかどうか、病名はどうであれ健康には無理がないか等一日交代で巡回してくれて当然と思います。
地域的にも過疎化している訳じゃないのに同じ日本島に住んでいるのにあんまりじゃありませんか? 怒ります。
先日お目にかかったときは少し肩の荷が下りたようにお見受けしたのにお気の毒です。
でも決して落胆しないでね、きっと良い方法も見つかります。
さて、桂林ですが6万歩以上歩きました。
サイボーグが定着したらこつこつクラブでご一緒しましょう。
また桂林は山登りをするので連れが無ければ籠があるよ!つまり江戸時代と同じように駕かつぎ屋さんがいます。
籠の前後に二人で担いで山の頂上まで行けます。 お殿様気分ですが乗りごこちは決してよくないです。
でも頂上に着いた暁には満天の星空、はるかに見渡せる山々、美しい模様の棚田全部貴方のものです(ただし、景色のみ)
雄大で小さいこと等もう眼中に無いです。
とても気持ちが大きくなり悩んだことなどおかしくなり、ストレス消去です。
何か調べたり、手伝いで私に出来ることがあれば遠慮なく申してくださいね。
元気出してがんばりましょう