人工股関節に換えて初めて遠出をした。
左足を切って養生していたが、思い切ってリハビリを兼ねて電車に乗って表参道に行きました。 実際に歩けるかどうか心配でしたが何とか行き着きました。
湘南新宿ラインに初めて乗りました。 快速に乗りかなり早く渋谷駅に着きましたが、それからが本当大変でした。まー驚きですホームに下りて出口までのコンコースの長いの長くないのって・・・・
途中で動く歩道があるのですよそれもホームに・・・・
やっと出口にたどり着き、地下鉄銀座線に乗り換えるのに階段を下りて一旦外に、改めて切符を買いまた上って改札口です。
一駅で表参道駅です。これからがまた大変でした。目指す表参道ヒルズへの案内版に沿って進むこと約5分、改札口があり、やれやれ着いたと思いきやこれからまた進まなくてはいけない、それに階段が多いかなり疲れました。
休みたいナーと思っていたところ、フランス風メトロの中のカフェショップがあり、アルコール類、ソフトドリンク等飲み物はかなりの銘柄が揃っていました。
仲良しの教授夫人のセレクトで夫人は生ビール、ほがらかさんはスパークリングワインで先ずは乾杯!!
さて、やっとヒルズに着いて、ウインド-ショッピングを楽しむつもりでテレビのニュースで見たとおりの順番で、上から下に下りて見てきました。
お店は小さくてあまりぱっとする物はなく、男性用品が必要以上に多かった。
あれ・・・表参道や原宿それに青山にはこんなに男性がいたかなー。
木々は空を突くように延びて、そうかこんなに木も延びるんだねー、私の頭の中の原宿、表参道、青山は何の変哲もないありふれた街でしたが・・・・
ただ、紀伊国屋とかユア-ズ等のインターナショナルなマーケットはありました。
でも車は本当に外交官ナンバーが多く、外国の方がよく歩いていたのは確かです。もっともおしゃれなカッコつけたレデイーは多かったけどね・・・・
考えてみたら初めてこの場所にきたのは43年も前で最後に来たのは3年前でした。
時代は変わったんだねー、動いてるんだねー、納得。
その当時は表参道から原宿に抜ける道は車幅がとても広く、両脇のお店は数えるぐらいでした。 青山から降りていくとオリエンタルアート以外はあまり店もなく街頭も暗くて車のライトで明るく感じていました。
明治通りを越えて原宿の駅にむかうとやっと明るくなり、一番大きいのはオリンピックのマンションでその下にお店があり、キデイーランドも結構賑わっていましたね。反対側にはミッセルなど終夜営業しているイタリアンレストランがあり、何故かフイリッピン系の人が多く働いていたのを覚えています。
明治通りとの交差点の角には焼肉の八角亭がありよく食べました。美味しかったなー。
ヒルズ側の反対はレイアウトもすばらしいブランド店でしたが、新鮮な感じは受けなかった。
グッチは金額のバランスが取れていて、ピンからキリまで若い人たちにも受けていたようだ。
平均してお金持ちの日本人と言われていますが、高い品ばかりではねーーー。
驚いたのはヒルズ内のレストランでアイスクリーム一人2,300円がありました。
どんな高級品か知らないが、本当に狭いスペースで人に見られながら食べるのはシノビナイ。
全部見終わってマックの100円のソフトクリームを食べた時は庶民を実感しました。
教授夫人が「ほがらかさん、歩けたねー、昔だったら絶対に無理だよねー、手術して本当に正解だったねー、実は失敗したらどうしょう、どうやって慰めようか悩んだのよ」って、自分のことのように喜んでくれました。心配して下さるのが嬉しいし有難い。
ゆっくりと休みながら散歩も出来、足をひきずることもなく、階段も一段一段だけど無理なく確実に歩けました。 痛みは無いけど自宅に着いた時はバタンキューでした。
2006年06月03日Sat
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