2011年06月22日Wed

5年100日 遠野・中尊寺・毛越寺

南部曲り家の千葉家を下から見上げました。

時間が早すぎて開園前。
でも大層な門構え、石垣、瓦葺の大きな家一時は使用人が20人位いたそうです。
重要文化財だけでなく今も住んでいるそうです。


河童伝説の遠野、常堅寺のカッパ淵へ、


境内の中の川淵にはどうも河童が出てきそうな感じがしませんでしたが、河童が馬を引きずり込もうとして失敗し、その後は丘に上がり精進して村のために生きたとか、
女性の河童だったと伝説にありました。




伝承園でも河童伝説で盛り上がり、200円のカッパ捕獲許可証を買って本当に河童が釣れたら1000万円の賞金がついていました。

それには条件があり、河童を傷つけないこと、河童の頭のお皿の水をこぼさない事、誰か釣って^^^お願い。 真綿にくるんで大事にしないと1000万円は貰えませんよ!!!

曲り家の移築がありましたが、茅葺の家は一棟だけでも4000万円するそうです。


そこに語り部のロボットのおばあちゃんふかふかのお座布団に鎮座まし、2回肩を叩くと自動的に遠野の昔話を聞かせてくれます。

最後のハイライト、平安京に次ぐ大都市として栄えた奥州藤原氏の本拠地、義経伝説、弁慶伝説の平泉、中尊寺の探索に・・・はあはあと息の切れること。

歴史を紐解き鎌倉幕府の世界へいざない、その鎌倉は我が家から電車では10分足らず、ここまで歴史をたどり、本当の鎌倉には何年に一度行くのみでは将軍頼朝と義経の関係は紐解くまで行きません。



「奥の細道」で平泉を訪れた松尾芭蕉は、奥州藤原氏の当時繁栄を極めた居館のあった場所が、田野となっている有様を見て、
  「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」
と俳句を詠み、また朽ちかけていたもののかろうじて光を残す中尊寺金色堂においては、
  「五月雨の 降(ふり)残してや 光堂」
の句を残している。

でも今、フランスのパリで会議をされているようですが世界遺産の登録に成るかどうか今週には決まりますね。

金色堂は本当にどこから見ても黄金色に光輝いていましたが国宝が少ないようにも感じました。

春セミの大合唱や、ど^^^^んと天をつく大木の 「杉並木」 お参りして降りる時、私の足元を横切っている蛇に驚きの声をだし、蛇の方が驚いたのかでもゆったりとすべるように木陰に身を隠しました。

「何とかあの蛇を写真に撮って」って・・・そんなに怖い感じはしなかったの不思議。

普通なら大騒ぎをして周りの人が驚くのですが、今回はあまり怖くなかったし見たこともない色の蛇で危害を加えられることもなく、怖がりもせずそれが良かったのか。

以来、小さなお加護が毎日継続しています。

中尊寺に次ぐ有名な毛越寺、平安の雅な貴族達の遊びを踏まえ、山水の世界を魅了です。



25年ぐらい前にテレビで見ましたよ平安の公家の遊びを。優雅なひと時をあくまで想像ですが・・・・
posted by ほがらかさん at 18:08 | Comment(0) | 国内旅行 みちのく三大半島巡り
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