東海京滋編 | 横浜〜清水〜駿河〜藤枝*〜静岡〜島田〜御前崎〜浜名湖*〜豊川〜犬山〜揖斐川*〜長浜〜安土〜京都〜相生* |
山陽編 | 備前〜岡山〜吉備〜笠岡*〜豊平*〜広島〜柳井〜防府〜宇部*〜下関〜門司〜大任町* |
北九州編 | 平尾台〜飯塚〜日田〜山国町*〜耶馬渓〜中津〜上毛町*〜宇佐〜豊後高田〜国東* |
東九州編 | 別府*〜湯布院*〜湯平〜長湯〜竹田〜豊後大野*〜臼杵〜津久見〜佐伯* |
南九州編 | 日向〜青島*〜日南〜飫肥〜都井岬〜財部町*〜都城〜国分〜鹿児島*〜知覧〜霧島〜白鳥 |
西九州編 | 人吉〜五木*〜山鹿〜嬉野〜武雄*〜有田〜西海*〜佐世保〜平戸*〜伊万里〜唐津〜宗像* |
山陰編 | 下関〜長門〜湯本〜萩*〜山口〜津和野*〜温泉津〜但馬* |
京都南信編 | 竹田城〜洛西〜瀬戸*〜信州平谷〜遠山郷*〜駒ヶ根〜茅野〜八王子〜横浜 |
今回の旅、横浜から西日本一周、東海京滋、山陽、九州、山陰、南信州と、高速道路は使用せず下の道を5,000km走りました。 ガソリンは450リットル使用。
(旅行ルート詳細をグーグルマップでご覧になれます)
【10月16日 (木)】宗像〜下関〜長門〜湯本〜萩
道の駅のどこかが壊れているらしく徹夜で作業、明け方は治ったようですが私達は有難く利用しているけど裏方さんは本当に御苦労されているのですねえ、感謝です。
やっと九州に別れを告げ門司から下関までわずか10分足らず、本州に帰ってきました。
復路は山陰地方を散策です。
北下関の道の駅「北浦街道 豊北(ほうほく)」に隣接する和久古墳は、和久港を眼下に水平線には角島大橋を遠望する丘陵に立地する古墳で、首長級の墳墓と考えられる横穴式石室墳です。
道の駅を訪れる人たちがなんだろうと寄ってくる | 和久一号古墳説明板、古墳時代後期の円墳 |
高台にあり見晴らしが良い | 復元整備された石室正面 |
北下関の日本海に浮かぶ山口県北西端の島、角島(つのしま)は、海士ヶ瀬戸(あまがせ)に架かる1780mの角島大橋で本州と結ばれています。
最初は目に入る真っ青な海と白い浜、海の橋で有名な角島大橋、見事なコントラストです。
天気に恵まれ雄大でした、日本の橋梁の技術は世界一だそうです。このノウハウが輸出に一役買っているそうな。
レクサスなどの自動車のテレビCMのロケ地としてもお馴染みですね。
海士ヶ瀬公園駐車場 角島大橋展望所 | マリンブルーの海の上に延びる角島大橋 |
海士ヶ瀬公園高台脇道から見る角島大橋 | 青い海と空の間を快適ドライブ |
角島最西端の「角島灯台公園」は、日本海に沈む夕日の絶好のスポット「夢崎波の公園」と隣接していて灯台、記念館、散策路、憩いの広場、多目的広場、展望ギャラリー等を整備した公園です。
角島灯台は、明治9年に初点灯した総御影石造りの、日本に2基しかない無塗装の洋式灯台です。
日本の灯台50選にも選ばれている角島灯台 | 第1等特大フレネル式レンズ |
夢崎波の公園エントランス | さまざまなオブジェが設置されています |
北長門の青海島に行く途中、標高330mの高台に広がり、日本海を見下ろす高台にある景勝地、千畳敷にも行きました。風力発電の白い風車も眺められます。
千畳敷 | 展望台からの眺望 |
長門市の北、北長門海岸国定公園を代表する日本海に浮かぶ青海島(あおみじま)は、十六羅漢、変装行列、象の鼻などと名付けられた石柱・洞門や断崖絶壁などの奇岩群を眼下に眺めることができます。
日本の海百選 青海島 | 青海島ビジターセンター |
遊歩道入口 | 断崖や洞穴が続く長浜群洞 |
日本画の大家東山魁夷画伯が、皇居の波の間に描かれている壁画、実際にご自分の足で歩いてスケッチされた断崖絶壁、青海島、景色もさることながら海の色のコントラストが素晴らしい。
絵の通りの場所を見つけた時は感激、30分位腰かけて海の雄大さに思いを馳せます。
波の間のモチーフになった岩礁「瀬叢(せむら)」 | 皇居の波の間の壁画「朝明けの潮」 |
碧濤台からの眺めは絶景、ここの展望台から目に入る奇岩怪礁の姿は「変装行列」と呼ばれ、自然が造った見事な彫刻美です。
第一展望台「碧濤台」 | 中の浦海岸(和っこの浦) |
象の鼻と変則行列 | 十六羅漢とカモメ岩 |
青海島で遊んだ後は、長門湯本温泉へ。室町時代発見と伝わる、山口県最古のいで湯です。
江戸時代には、位の高い人は「礼湯」を、庶民は「恩湯」を利用していたそうですが、現在はどちらも共同浴場として親しまれています。
情緒あふれる温泉街を流れる音信川沿いには足湯もあり、旅の疲れを癒します。
長門湯本温泉 恩湯 | 恩湯共同浴場 |
長門湯本温泉 礼湯 | 河川公園足湯 |
温泉に癒され、ゆったりとした時間を過ごしたあとは、道の駅「萩しーまーと」へ。
萩市漁業組合が運営し、漁港に隣接しているので、新鮮な魚介類の品揃えが豊富で、お魚パークのような観光市場です。
【10月17日 (金)】萩〜山口〜津和野
吉田松陰の松下村塾の素朴な寺子屋も・・・・・今ならさしずめ、哲学者でしょうか? ここで高杉晋作や伊藤博文が勉強したと思うと不思議な気がする。
松陰神社鳥居・参道 | 松陰神社本社 |
末社 松門神社 | 勧学堂 |
萩から優秀な人がたくさん出たのは吉田松陰のおかげ。 松陰は身分や階級に関係なく門下生をとり、ひとりひとりに合った教育をしたそうだ
お弟子さんは幕末から明治にかけて日本の未来を掛けて活躍した長州藩士、華やかですわね、
吉田松陰歴史館 | 石碑「明治維新胎動之地」 |
石碑「親思ふ心にまさる親心」 | 石碑「薩長土連合密議之處」 |
思ったより小さな塾舎でかわいらしい建物です。 高杉晋作や久坂玄端などが勉強し、小さな畳の部屋からは何人もの幕末に活躍した人達が巣立って行きました。
松下村塾(国指定史跡) | 控えの間 |
有名な8畳の「講義室」 | 親を守る子供のように見える「孝行竹」 |
とても静かで心が落ち着き、彼らの少年時代に静かに思いをはせるには良い場所で、建物と、彼らの写真が飾ってあるだけでとても質素、良い環境です。
吉田松陰幽囚ノ旧宅(国指定史跡) | 幽囚ノ旧宅式台玄関 |
3畳半の幽囚室 | 茶室 花月楼 |
初代総理大臣、またハルピンで暗殺された、伊藤博文さんの生家にも立ち寄り、銅像の彼とその時代を考えながら・・・・ロマンですよね、想像はどんどん広がっていきますわ。
生け垣に囲まれた質素な伊藤博文旧宅(国指定史跡) | 風呂場と便所が野外にある典型的な下級武士の住宅 |
旧宅横の広場の博文像 | 旧宅隣の伊藤博文別邸 |
車寄せを持つ豪華な玄関 | 大広間廊下 1枚杉の鏡天井 |
山陰萩と山陽防府を直線で結ぶ交通路「萩往還」、萩往還公園内、道の駅萩往還に隣接して建てられている松陰記念館。吉田松陰の生き方や、人形を使った松下村塾の再現・手紙のレプリカなどを展示しています。
来年のNHK大河ドラマは吉田松陰の妹、文の生涯が楽しめますねえ、キャストは既にご存知でしょう。
町のあちこちに看板が立ち、たまたま元NHKアナウンサーで、今はいくつかの大学の客員教授もされ、解説などで活躍されている松平定知さんと吉田松陰の事を話す事も出来てルンルン。
松平さんは世が世ならば、徳川家康の異父弟・松平定勝を祖とする伊予松山藩久松松平家の分家旗本の子孫。
松陰記念館 | 松陰を囲んだ高杉晋作と久坂玄瑞像の前で松平さんと |
館内の様子 | 松下村塾の様子を再現 |
殿さまですものねえ、 でもね、気楽に握手もして下さり、おまけに一緒にハイポーズ、どうせならプロのカメラマンだから撮ってもらいなさいって・・・・・気取らないところがとても素敵。
手紙のレプリカなどの展示 | 留魂録(左)塾生への遺書 |
永訣の書(下)「親思ふ心にまさる親心」 | 絶筆(中)処刑直前に懐紙に最後に書いた一首 |
山口県で3件ある国宝のひとつ、瑠璃光寺五重塔をしっかり、ここで面白いパーフォーマンスを見つけた。
ロスから来た若い台湾人、この寺の前ですべて新聞紙でできた、ウエデングドレス、髪飾り、靴でスローモーションで未来に向かって走り出すような、または泳ぐような格好で写真を撮っている、何かと聞いたらお寺とのコラボレーションだとか。
あら、そうなのと言いつつ意味が解りません。 だって、英字新聞と古いお寺の門、どんな関係??
瑠璃光寺 | 香山公園案内図 |
瑠璃光寺五重塔は、法隆寺、醍醐寺の五重塔とともに日本三名塔と称され、国宝だけに搭の反り屋根がすばらしい、カメラマンがアングルを求めてあちこち、シャッターチャンスを待っているがなかなか人通りも多く自由にはならないわね。
500年も前に理にかなった建築方法も現状維持を考えると素晴らしい文化、後世に是非残してほしい。 20年に一度の屋根の葺き替えは後世に方法を残すためらしい。
五重塔(国宝)と池 | 中門と回廊 |
本堂 | 大内弘世公之像 |
香山公園内には、瑠璃光寺や五重塔の他、薩長連合の密議を行った「枕流亭」や幕末の藩主・毛利敬親が、討幕の策を練った茶室「露山堂」、石畳を強く踏みつけたり手を打ったりすると「キュ」という音が返ってくる「うぐいす張の石畳」などがあります。
うぐいす張の石畳 | 毛利家墓所(国指定史跡) |
枕流亭 | 茶室「露山堂」 |
山陰の小京都と言われている津和野を見下ろす高台に鎮座する神社。緑の山をバックに赤がとても鮮やかです。
太鼓谷稲成神社 | 拝殿・本殿 |
社務所 | 神社境内 |
日本五大稲荷の一つだそうですが、「いなり」を「稲成」と書くのはここだけです。
境内からみた神門 | 石段 263段、鳥居 約1000本の千本鳥居参道 |
津和野の街並の眺望 |
SLも復活らしく運が良ければ見えるかな^^なんて淡い期待を抱いて駅まで・・・残念ながら土日しか走らない。
それも一日一便、 新山口始発ーーー津和野、 津和野には12時40分到着、折返し15時30分新山口へ。
どうしても乗りたい人は一駅だけ乗って電車で帰ってくるとか・・・・駅長さんの話、 「もったいないやで^^^^」 でした。
殿町通りはかつての武家屋敷町で、白壁と格子窓が残る藩校跡や武家屋敷門が立ち並ぶ通りです。道の両脇の掘割には町のシンボルである鯉が泳いでいます。
殿町通り | 掘割りに遊ぶ鯉 |
津和野カトリック教会 | 畳敷きの教会堂内部 |
辺りには、津和野カトリック教会、藩校養老館跡、郡役所跡もあって、これらと合わせて津和野を象徴する景色となっています。
藩校養老館 | 養老館 書庫 |
藩家老 多胡家表門 | 白壁を映す掘割り |
津和野には、古くからの造り酒屋や名物「源氏巻」を扱うお店が沢山あって、造り酒屋「初陣」や「沙羅の木」もその一つ。殿町通り沿いにあるお店です。
源氏巻はそれぞれの店に特徴があって、カステラ生地の薄い・厚いや、堅いの・柔らかいのや、餡子も漉し餡、粒餡、白餡と多彩です。
老舗造り酒屋「初陣」 | 酒蔵見学や試飲も |
沙羅の木松韻亭、津和野名物「ことぶきやの源氏巻」 | 源氏巻の製造工程も見学できます |
温泉付きの道の駅ランチは、オムハヤシ、ハンバーグポン酢和えは、二人のシェフの知恵かしらとてもおいしい。
この街も人手不足??フイリっピンからのお嫁さん3人がちょっと不自然な、でも流暢に方言を??話し、会話が弾むこと、それに元気の良い笑顔がとても可愛い。
自国よりもこちらの生活の方が仕事もあるし、2年に一度の里帰りも出来るようで楽しいとか。 がんばってね。
津和野温泉 あさぎりの湯 | 道の駅 津和野温泉なごみの里 |
【10月18日 (土)】津和野〜温泉津〜但馬
今日から横浜に向けてスピードアップ、見聞を広げるのはそろそろお仕舞い、約1000キロを高速は利用せずに走る予定、どんな道が待っているか恐怖です。
ちょっとまって!!! 途中で、「オール5温泉」を見つけ、温泉津温泉の薬師温泉「薬師湯」に立寄りました。
温泉津温泉街 | 薬師温泉 薬師湯 |
大正ロマン漂う有名な源泉かけ流し、100年以上も同じ場所で同じ泉質、湯船だそうです。
石見銀山で栄えた温泉町、昔は銀の鉱山で栄え賑わったであろう、 細い路地が入り込んだ温泉街は温泉津焼きが有名らしいが今は高くなり、買えないよって温泉好きの叔母さまたちの話。
オール5は山陰では薬師湯だけ | 湯船の周りに着いた湯の花 |
サービスのコーヒーを頂きながら2階ラウンジで休憩 | 屋上ガーデンテラスから町並みの眺望 |
でも薬師湯は光っていましたわ、後継者の問題もある中で、4代目は可愛いお孫さん、新聞や雑誌にも取り上げられ、読んでいると歴史が解る。
大正時代の名残りそのまんまの旧館のレストラン、食器もオールドノリタケのコーヒーカップ、家具もどっしりしたダニエルの家具で、確実に100年以上経ているのでアンテークと呼べる。
近所には500年を超える禅寺もあり、風格がありました。
大正ロマンの木造洋館「震湯カフェ内蔵丞」 | 重厚な雰囲気とアンティークな調度品 |
共同浴場元湯「泉薬湯」 | 温泉街の中にある西楽寺 |
ゆっくりしたいが、横浜まで急がなくっちゃ・・・・・津和野から但馬まで400km近く走りましたが、先は長^^^^いね。
鳥取で日本海の夕日を見ながら、必死で夜道を運転、但馬に着くと急いで温泉に。 駅に併用してホテルも、コンビニもあり、夜中にちょっと書物もでき、暖かいコーヒーもあり、立ち読み1時間、
鳥取の北条砂丘公園の夕日 | 道の駅 但馬楽座 |