港北ニュータウンの中心部、センター北駅から徒歩5分にある横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡に行ってきました。
こんな処に遺跡?と思わせる、周りの開発が進んで、なんだか不思議な一角です。
先日横浜市金沢区の称名寺に行きましたが、称名寺貝塚は今からおよそ4000年前の縄文時代後期の貝塚です。
称名寺は鎌倉時代に創建されたお寺ですが、その周辺に縄文時代の貝塚が眠っているのです。
横浜市歴史博物館 | 受付を済ませ2F展示室へ |
企画展「称名寺貝塚〜土器とイルカと縄文人」 | 縄文時代後期の貝塚分布と海岸線の変遷 |
発掘調査ではイルカや魚の骨が大量に出土し、シカの角で作った銛や釣針などの漁具も見つかりました。
この地で暮らした縄文人は海にこぎ出してイルカや魚をとり、遠く離れた土地と行き来していたのです。
縄文人の暮らしぶりが伺えます。
第T部 土器からみた称名寺貝塚の変遷 | 称名寺貝塚から出土した貝・魚類の骨 |
貝塚から出土した石器 | 第II部 称名寺土器の時代 |
称名寺貝塚で見つかった土器から、縄文時代後期初頭の土器型式を「称名寺式土器」と呼んでいます。
この称名寺式土器は、西日本からの影響を受けて作られたと考えられているそうです。
常設展は「横浜に生きた人々の生活の歴史」をテーマにして、三万年近い歴史を原始から近現代まで6つの円形の展示室に分け、時代に沿って横浜の歴史が手に取るようにわかる展示がされています。
常設展示室 | 展示室マップ |
原始T(自然の恵みの中で生きる) | 原始U(稲作と争いの始まり)、大塚・歳勝土遺跡模型 |
横浜市域にて出土した土器、埴輪をはじめ様々な文化財や、ジオラマ・模型の展示のほか、横浜2万年の歴史を15分の映画で紹介する「歴史劇場」があります。
展示文書から、「横浜村」の名称が初めて登場するのは、室町時代中ごろと知りました。
古代(古代国家誕生、都筑群衛をめぐる人と物) | 中世(戦乱の中に生きる) |
近世(東海道と宿場の繁栄) | 近現代(横浜開港と人々の暮らし) |
国指定史跡の大塚・歳勝土遺跡公園は、今から約2000年前の弥生時代のムラとお墓の跡です。
外からの敵を防ぐために周囲には濠が廻らされ、当時は100人くらいの人々が暮らしていたようです。
大塚・歳勝土遺跡公園 | 遺跡公園マップ |
大塚遺跡、竪穴住居7棟、高床倉庫1棟が復元されている | 復元された集落を巡る環濠、土塁、木柵 |
遺跡内には、竪穴住居7棟をはじめ高床式倉庫、型取り遺構、木橋など(大塚遺跡)が復元され、
方形周溝墓とよばれる大塚遺跡に住んだ人々のお墓(歳勝土遺跡)もあり、低い四角形の盛り土と、その四辺を溝で囲んだ形が特長です。
竪穴住居 | 竪穴住居の内部 |
竪穴住居の型取り遺構 | 歳勝土遺跡、復元された方形周溝墓 |
園内には都筑民家園もあり、都筑郡牛久保村にあった旧長沢家住宅を移築復元しています。
18世紀中ごろに建てられた旧長沢邸は、名主を勤めていただけあって、十畳二間の畳み敷きの部屋、板敷きの二間、囲炉裏のある広い板の間、炊事場のある土間があり、とても大きな古民家です。
ボランテイアさんは、昔のお百姓さん宅は畳の部屋なぞ無かったと説明されていました。
都筑民家園(旧長沢家住宅) | 囲炉裏のある居間 |
土間と台所のカマド | 主屋の隣に建てられた茶室 |
民家園上の草地広場の桜 | 鐘状の緋紅色の寒緋桜 |
離れに茶室もありましたがどなたか 「ひそ・・・ひそ・・・」 と部屋の中はまったく覗くことはできません、ひそかに想像するだけです。
「歴史博物館のボランテイア募集中」 でした。 発掘調査などまだまだ解明には時間が掛るようですが、体型的に無理で、残念ながら腰を折っての作業は難しい。
どれも管理が良く行き届き、古いものを大切に次世代に残す事は素晴らしい。
【敬老パスルート】
戸塚駅⇔センター北駅⇔横浜市歴史博物館