山下公園 | 横浜港 |
大桟橋 | 氷川丸 |
パスポート受取の後、山下公園を散策をしながら最近国の重要文化財に指定されて支援を受けている氷川丸に乗船。
赤い靴はいてた女の子像 | 花散歩を楽しんで |
第56回横浜花壇展 緑の協会賞「浜辺のウェディング」 | 横浜市長賞・市民賞「ワクワクkidsランド」 |
氷川丸との最初の出会いは、ほゞ35年以上前に知人が横浜で一番古い教会で結婚式を挙げ、披露宴を氷川丸の一等ダイニングルームで盛大に行われました。
若輩者ですが、私達は大役の仲人を承り若かりし頃を思い出して懐かしくて乗船しました。
その時は乗船して仲人席に座ることで余裕がなく、見学なんて考えもしなかった。
氷川丸 | 船内ガイドマップ |
エントランスロビー(Bデッキ)で紹介ビデオの上映 | 一等食堂(Bデッキ)、結婚式の披露宴などにも使われる |
見学順路通りに進むと約一時間半、船上で広々としたソファーやデッキの椅子にも腰掛け、あたかも旅行者になった気分で楽しみました。
Aデッキへ上がる階段 | 一等社交室 ふかふかの椅子 |
一等船室通路(Aデッキ) | 展示室 シアトル航路の旅 |
一等客室の先には、リビングダイニングルームとベッドルーム、バスルームを備えた豪華な一等特別室(スイートルーム)がありました。特別室はチャップリンや秩父宮殿下も利用したみたいです。
一等喫煙室(Aデッキ) | アールデコ調の喫煙室天井 |
一等客室(Aデッキ) | 一等特別室のベッドルーム |
操舵室は船の総司令室。運転士が24時間体制により船の安全航行を見守る場所です。船内の各部署の状況が把握できるよう、さまざまな装置が集まっています。
デッキチェアで一休み | 階段を上りブリッジへ |
N3左翼デッキと操舵室入口 | 操舵輪、羅針儀などが並ぶ |
昔懐かしい二本線の煙突にマスト、日本郵船の豪華客船、プロモーションビデオを見ると五色のテープが岸壁を埋め尽くし、本当に洋行って感じでした。
氷川丸の船名に由来する氷川神社の神棚も | 船長室(N2デッキ)執務室 寝室 バスルームの3つの部屋 |
操舵室から見た船首 | 二本線煙突にマリンタワー |
宮様の旅もサポート、一等客室はきっと富豪や有名人しか乗れなかったのですねえ、素晴らしい御もてなしだったのでしょう。
土日開放のオープンデッキ | デッキから船首をみる |
最後尾のアンカー錨の前で | 船尾から見る山下公園 |
船底の機関室Dデッキへ、機関室は上中1中2下の4層のフロアで構成されています。
機関室上段、8気筒のディーゼルエンジンが左右2基 | 中段、エンジンがズラッと並んで圧巻 |
下段、レトロなメーター類と連絡用の伝声管、電話室 | 壁の赤い線がウォーターライン(喫水線)ここは海面下 |
知り合いのハワイ生まれの叔父様の話では戦中に氷川丸で来日し、戦後もこの船で帰国されたとか。
ギャレー(厨房)エリアの先8人部屋の三等客室(Cデッキ) | 最後に展示室「氷川丸の航跡」をみて下船口へ |
"氷川丸"内部イラスト図 | 下船口と白灯台 |
ご両親がハワイに移住された時から生まれ育ったハワイの話、日本とアメリカの戦争の話、戦争その後の話、またハワイに帰国された話等・・本当に歴史をお勉強するようでした。
戦後は、ご両親の説得にも心動かさず、妹さんと二人で60ドルだけ貰って(1ドルは360円です)氷川丸に乗りハワイに帰ったそうです。
苦労は涙ながらにお聞きしました。
海と空の区別がつかないほど美しいカリブ海を大型客船でクルーズ、14年前ですが素晴らしかったことが忘れられない。
サンセット、サンライズ、いまだに忘れることはありません。
フロリダから出航ですが、デッキは端から端まで歩くのに本当に時間が掛かり、ほがらかおじさんが車椅子を押してくれたけど重たい、ほがらか叔母さん気の毒でした。
良い経験をしました。
最高のエンターテイメント、食べたい物を食べたいだけ、好きな人と好きな時間に好きな場所でって事でした。
まったくその通り、真夜中でもお腹が空けば出来立てのアツアツを好きな場所まで持ってきてくれる素晴らしい御もてなしでしたが今でも同じと聞いています。
氷川丸は一万トン弱、殆ど揺れを感じなかったカリブ海は8万トンやっぱり大きいはずです。 次回はストックホルム等北方に出かけたいですね。