退院後初めての診察日は7月1日月曜日にありました。
ほがらかおじさん、長女、私とで「もう大丈夫ですよ」って言われる言葉を期待して、ルンルン笑顔で診察室に入ったまでは良かったのですが・・・
驚くなかれ、再手術をするかしないかの瀬戸際に立たされてしまった。
つまり、今の段階では癌の素を内視鏡で取り切れたが、かなり深いところまで癌は浸透していたので、残っていたとしてもわずか0.9位かだろうとも見解。
このままほっておくことも手段、または外科的手術で人工肛門にするか?そのためには3か月以内にしなくては何のメットもない。
人工肛門にすれば、この先問題なく大腸がんに関しては生涯心配ない。
数か月で人工肛門を直腸につなげて元に戻す方法は不可能に近いらしい。
腸の長さにもより、腸をつなげるためには、早く言えば、”のりしろ”が必要なので、二度の手術では8センチ、またその為には色んな傷害があるかもしれない。
大好きな温泉巡りもまずは無理、周りを気を使ったり、まず毎日の手入れが大変、
これは40年前の義父の人工肛門で多少のお世話をしていたのでとても理解できます。
周りでお世話するよりも、本人の苦悩は如何ばかりだったか?
幸いだったのは温泉旅館だったので、大きなお風呂で好きなだけ入ることが出来ましたが、今は考えるだけでも辛い。
さて、私の年齢からすると、大腸がんは5,6年は大丈夫でしょうとのことですが絶対とは言われなかった。
癌がどこに転移するかの問題ですよねえ、年齢とともに癌細胞は遅く発達するらしい。
悶々としているがとにかく9月まで猶予があるのでじっくりとメリット、デメリットを考えよう、
少なくとも今の段階では太く逞しく、このままで生きたいとも願っている。一度の人生ですものねえ。
意外と自分の主張は無く、付和雷同型人間、右向け^^右タイプです。
残して次の世代に送りたいもの、処分する物、綺麗に後始末はしたいなーと
数年以内にまとめたいなと思ったりもしている。
それで残った日々は、豊かにのんびりとほがらかおじさんとの時間を有効に過ごしたい。
車中泊で全国隈なく巡り、二人での残す車旅では北海道と沖縄、すでに友人との旅行では3回は行っているけど車では経験無し、急がしいわねえ。
世界各国信じられない位旅をし忙しく出たり入ったり、友人に会いに行きたい国もまだまだあるけど今の所満足かしら。
第二の人生が始まったアメリカにはまだまだ行きたい。
宣告を受けてから少し考え方が変わり、今迄は忙しく動き過ぎたように思う、のんびりと時間が掛かってもいいではないか??
何でもパッパッと済ませ、時間い追われるように過ごしたようにも思います。
これからはじっくり落ち着いて何事にも向かってみようと思う考えもしている。
とにかく人工肛門は考えないよう決めた。
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さて、7月27日は先生の話を聞くことだけで精いっぱいだった主治医の先生との話し合いでは、
「迷うことなく手術はしないことに決めました」と申し上げ、今までの手術経過や今後の話し合いになりました。
横浜大市立大学病院が自宅から近いし、20年以上も診てもらっている事、両足人工股関節手術、腰椎などですべて見てもらっているので
今後は市立大学病院で治療を受けたい」旨をお願いしました。
先生は気持ち良く私の気持ちを受け止めて下さり、今後主治医の先生が治療をされようとしている計画をすべて市大にスイッチして下さるそうです。
信じられないほど色々と話して下さり、自分の病気としっかり向き合うことができました。
いずれは抗がん剤を利用するようになるかも知れないが、今の所その心配は無く、「ステージ1」本当に安心致しました。
10月から始まるであろう今後の治療を、逐次お知らせできればと思います。
何か緊急の事があったとしても柔軟に対処しよう。
人生のモットー 「ケ、セ、ラ,セ、ラ」なるようになるで生きましょう
2024年07月30日Tue
07/30 大学病院での診察日7月1日と7月27日
posted by ほがらかさん at 16:07
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| 大腸内視鏡
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