2006年04月12日Wed

30日目 退院

左足:2006年 3月13日入院〜 4月12日退院(31日間)
右足:2005年10月31日入院〜11月26日退院(27日間)


病院や人工股関節のことで、わからないことがあれば書き込んでね。ほがらかさんが責任を持って、知り得る限りの紹介や情報を正確にお知らせ致します。

数ヶ月の術後観察が終わったら、私達は次のステップ、第二の設計に取り掛からないと。。。。。
時間がなくてこれから忙しいのよ。でもその後の経過などを追加していきます。

終わりではなくまだ継続中です。
自分勝手な、つたないブログでしたが、お付き合い頂き本当に有難うございました。

posted by ほがらかさん at 12:00 | Comment(6) | 手術記

2006年04月11日Tue

29日目 一生の得

もし股関節が痛くて痛くて我慢できない自宅組の方、もう歩くのはギブアップと思わないで、我慢より絶対に人工股関節に換えて楽しみましょう。

だっていま、ほがらかさんは確実に手術前の痛さを忘れたよ。秀ちゃん先生のエールがなかったら一生の損をしたと思う。
人工股関節の手術は決して怖くありません、両方とも感謝感謝です。

ガタピシと歩いていたけど、いま両方の足が同じ長さよ、まっすぐ歩けるのよ。
くれぐれも手遅れにならないようにね。
posted by ほがらかさん at 12:00 | Comment(0) | 手術記

2006年04月10日Mon

28日目 退院許可

ばんざーーい!!!DR.クルーニーから12日退院許可。
うれひーーーい
これから3日間のリハビリに思いをはせ、12日最後の晩餐(昼)を食べてお別れです。

DR.クルーニー始め、秀ちゃん先生、諸先生、
看護師さん、特に花火の里さん、夜中にキッチンバサミで指を切り7針縫っても笑顔を絶やさず休むことなく看護に励むかわいい小指ちゃん、
リハビリ室の理学療法師の皆様、亜美ちゃん、鬼軍曹、レオ先生、ヘルプの方、

皆様本当に本当にお世話になりました。
posted by ほがらかさん at 11:58 | Comment(0) | 手術記

2006年04月09日Sun

27日目 ダイエットの決心

4月9日夜9時体重66.4kg、驚きおののき、一変減量に目覚める。人工関節に負担をかけないよう、寿命(15−20年)を伸ばすため、ダイエットを決心しました。

メニュー
1 白米、味噌汁、野菜類、漬物
2 白米、すまし汁、肉類、果物
3 白米、すまし汁、魚類、果物
4 五目寿司類、すまし汁
5 麺類、果物、
6 寒天類
7 パンまたはサンドイッチ、スープ
8 おかゆ、(さけ、三つ葉、梅干)
9 白米、すまし汁、野菜類、玉子料理
10 野菜サラダ、スープ(海草)

摂取量目安:8単位 640Kカロリー
朝 りんご半分、豆腐0.3、野菜300g
昼 ご飯50g、魚80g、野菜300g
夜 ご飯50g、肉60g、野菜300g

海草、きのこ、こんにゃく(カロリーがとても少ない)
低脂肪牛乳150cc、酢の物中にはワカメと何か合わせる

ダイエット記事表示
ダイエットグラフ表示
posted by ほがらかさん at 22:00 | Comment(0) | 手術記

27日目 ひたすら訓練

傷がまだ、かさぶたと引き連れが治らないけど、もう全快に近い。くれぐれも個人差がありますから、きっと一般には21から25日で退院でしょう。

ひたすら歩行訓練。リハビリになると思うけど、かなり腰から下がおもい、自由にはならない。
歩け、歩け。
posted by ほがらかさん at 09:00 | Comment(0) | 手術記

2006年04月08日Sat

26日目 かさぶた

熱なし、血圧低め、傷の引きつれと周りの筋肉のほぐし、両足歩行が蛇行しないように、ゆっくりと姿勢を正してきれいに歩行器で練習、病棟を何度も往復する

ちょっと傷口が痛いけど、退院まであと少しだからしっかりリハビリに精を出そう。
かさぶたもお鍋のふたのごとくしっかりくっついているよ、これが取れるのはいつかなー。
posted by ほがらかさん at 16:16 | Comment(2) | 手術記

2006年04月07日Fri

25日目 毎朝の日課

早朝に歩行器にて病棟の中をリハビリのために歩く。病棟から見る朝靄って結構神秘的。リハビリは、左足太股を重点にほぐす。まだ筋肉が張って痛いねー、でも気持ちが良い。退院に向けてラストスパートをかける

明日の桜子さんの退院をピザで祝う。病室の誰かが元気に退院するのは本当に嬉しい。
赤の他人なのに、旅の道ずれのごとく親しくなる。

毎朝日課にしている二人の秘密コーヒータイムを1階で楽しんでいる。今の自動販売機は進歩しているね、だってコーヒーを選んでお金を入れると小さい10センチ四方のごま粒のような穴からコーヒーの良い香りと昔懐かしいコーヒールンバの曲が流れてくるのよ、信じられる??

病気の話、家族の話、食の話等に波長が合うのか楽しくて、7時頃を見計らって病室に帰る。一杯のコーヒーの何と豊なまどろみか、さみしくなるね。
近頃は参加しても良い?ってお仲間が増えたよ。
posted by ほがらかさん at 22:46 | Comment(0) | 手術記

2006年04月06日Thu

24日目 やっと傷口治癒

傷を看護婦さんが確認して、あら、ほがらかさんもう傷も治っているよ、なにもガーゼについていないから今日からガーゼもテープも無しです。うれしいねー、でも傷のかざぶたが浮き出ているのでそこだけテープを貼ってもらう。

やっと傷口治癒です。遅かったけど本来はもっと速いよ、ほがらかさんは付きにくい細胞らしい。(これも個人差です)
拍車の掛かっているリハビリでは今日始めて外を歩いた。

桜の木が一本あったが残念ながら桜は散って葉桜になっていたよ。
病院の桜「花の命は短くて苦しき事のみ多かりき」
女流文豪林芙美子は、どの花をみてこう読んだのかな、と一瞬立ち止まって考えた。そうか、そうだね、花の命は短いよね、散り際がかんじんだねえ、枯れて木にしがみ付いているのも悲しいもの。

クルーニーから目標を立てて自分で退院する日を決めてくださいと言われたが、隣りのベッドの桜子さんは土曜日に退院。

主治医はクルーニーに変わっていて「桜子さん、とても状態は良いようですね、退院は今週土曜位でも良いですよ、今日撮ったレントゲンを見ますか?」

桜子さんはせんせいと一緒に見て説明を受け病室に帰るなり、「ものすごくきれい!!私の股関節は一分の狂いもないって、さすがクルーニーはぴか一だわ、ルンルン」だって。

ンま、ほがらかさんの主治医もお分けしましょう、皆のぴか一先生で良いすよ、クルーニーが余計ハンサムに見えてきたよ。
posted by ほがらかさん at 07:48 | Comment(0) | 手術記

2006年04月05日Wed

23日目 リハビリ室と器具

血液検査、レントゲン、そしてリハビリ強化マッサージで筋肉を揉み解し、大腿骨の筋肉、膝のまわり、傷近辺、痛いのよこれがでもね、クー効くーーって感じで半分涙です。

平行棒、杖、歩行器、風船やタイヤのチューブを使ったストレッチ(股関節を広げる)などで約一時間くたくたです。

平行棒
平行棒

歩行器
歩行器

風船やタイヤのチューブ
を使ったストレッチ

風船

階段
階段


留まる所が無いようにリハビリに拍車が掛かる。
膝ががくがくしてきた等とよく使いますが私の場合には下半身硬くて足が前に出ない。

一人で励んでいる桜子さんに叱咤激励「動きが遅いよ、もっと力を入れてー」なんと外野のうるさいこと。でも疲れきった桜子さんは反撃の余地無し。(若いと言ってもねー)。
posted by ほがらかさん at 12:20 | Comment(2) | 手術記

2006年04月04日Tue

22日目 大先生

今日は大先生に誉められる
DR.クルーニーの説明を聞きながら隣りの桜子さんとほがらかさんに、あーそう、うん、うん二人とも優秀だねー。(??)
DR.クルーニーのきめ細かい判断や術後の指示、それにきっちり対応して下さっている看護スタッフの方達に本当に感謝しています。

リハビリも5割方終わりここまで回復です。次回の入れ替え(15年後?生きていればの話)までお願い見守っておっかけもします。
DR.クルーニーどうぞ言わないで下さい“グッバイ、アデユー”。
ほがらかさんは “ネバー・セイ・グッバイ”です。
posted by ほがらかさん at 13:04 | Comment(0) | 手術記

2006年04月03日Mon

21日目 独り言

リハビリが終わるとぐったり病室に戻るとバタンキューです。
結構リハビリは辛い物がありますねー 具合が悪くなりそう。


ほがらかさんの独り言。

乳幼児がお医者さんの白衣を見ると何故怖がったり泣いたりするのかなー??やはり異様に赤ちゃんながらに思うのかな?ではこれはどうだろう

1.乳幼児を診察するときや、注射の時は白衣ではなくかわいいスモックに着替える。
2.デイズニーランドで売っている象さんやクマさん、ウサギさん、ミッキーなどのヘアーバンドやミーニーなどクリップで可愛らしく髪の毛を止める。
3.先生自ら動物のぬいぐるみ??または注射したあとにぱっと花を咲かせる

え、動物園じゃないって??勝手でした。
posted by ほがらかさん at 21:43 | Comment(0) | 手術記

2006年04月02日Sun

20日目 患者さん同士の話

傷の消毒、自己リハビリで病棟を歩け歩け運動です。眉毛を八のへにして歩行器と杖でチョット気分が乗った時無意識のうちに体を動かしている。
基本的には土、日、祭、祝日にはリハビリ無し。


患者さん同士の言葉をちょっとお耳にしました(ちょっとリアルです)!!!

同じ病気と戦っている他人ですが同病相憐れむで何か通じる物はあります。
感染症は100分1%の確立で起きている。

原因は何故かまだ究明されていないようだがとにかく傷口から感染、または内部、外部、を含め体力が劣っているとき細菌に侵され発病、症状は熱が下がらず手術の傷跡がかなり腫れてくるそうです。

治療には抗生物質などを投与されるそうですが再手術するかどうか最終的には主治医の判断によります。

医師の承諾が出ないで退院した場合、例えば転んで股関節のダメージを受けて再入院した場合には決してよい顔はされないで勝手にしたらの顔がはっきりと見えたそうな。

気持ちよく治療を受けることが難しいらしい。やっぱり主治医の指示に従う事が生涯を通じて股関節の、また追跡診断にも良い結果をもたらすように思う。先生お願い致しまーす。
posted by ほがらかさん at 21:41 | Comment(0) | 手術記

2006年04月01日Sat

19日目 エイプリルフール

2度目のシャワーが終わって先生の傷跡の消毒、嬉しいけど角質が取れないし肌は鮫肌でもうがさがさ、早く温泉に入って韓国エステで角質を取り除きアロマテラピーでつるつるにしたいよ

今回も入院前にそれをしてきました。だって一応レデーですから汚いオミアシを人様の前に出すのはいやざんすよねー。

メスがあまりのつややかな皮膚に驚き切る場所を滑り落ちるのではないかと内心ひやひやでした。本当かって?ま今日はエイプリルフールだから。
posted by ほがらかさん at 09:01 | Comment(0) | 手術記

2006年03月31日Fri

18日目 薬の効用

歩行器訓練消毒なし、9時からしっかりリハビリ、昨日よりかなり歩けるようになった。
筋力をつけるよう暇を見つけて自主トレに頑張るしかない。
退院は術後3週間から4週間なので来週末かなー。

昨日、今日と違う朝焼けを見て感激。
どんな太陽ですか?って、例えるなら、新年にかける真っ赤な太陽と鶴の掛け軸に描いてあるあの光景と、眩しくて目を開けることのできない光り輝く太陽です。

じっと海から昇ってくる太陽を、今か今かと待っていたが日の出は数分で終わり、瞬きもおしい出来事でした。 確実に季節は巡り地球は動いているのだなー。。
(陰の声=本当に茹で立ての真っ赤な蛸の頭とおんなじ、だってまん丸だもの)


薬の効用

渡された薬を勘違いしても、効き目を信じるおめでたいほがらかさんです。
今日まで使用していた座薬は痛止めだと信じていた。
硬膜外麻酔も無いので、飲み薬と座薬で痛みを和らげ夜も落ち着けるし、先生の計らいに感謝していた。

寸劇風ほがらかさんと看護婦さんのやり取り、

『ほがらかさん、座薬は今日はどうするの?』
『あー下さいね、痛み止めの座薬ですから取り上げないでね、お願いしますよ』

『え? これは痛み止めではなくお尻の座薬ですよ』
『違いますよ、それは寝る前にお尻に入れる痛み止めの座薬ですよ』
『ちょ、ちょっと待ってくださいよ調べてきますので』

詰め所にて看護婦さんは書類を見て、薬の欄を調べ、

『お名前はほがらかさんですよね』
『はい、そうです』
『あーやっぱりこれは痔に使う座薬ですよ、間違いありません、でもこれで痛みは取れたのですか?』

『はいそうです、だからこれを使ったら8時間は間隔を置かなくてはいけないと聞いたので、必死に耐えていたよ、 それに効いていましたよ』
『そんな馬鹿な??効くわけが絶対にありません。信じられなーーい』

と実にお怒りでした。
驚きは私ですよ、もう今日からいらないです!!!
馬鹿も休み休みしてよね。  まるでいわしの頭も信心からーーーー
posted by ほがらかさん at 14:15 | Comment(0) | 手術記

2006年03月30日Thu

17日目 歩行器訓練

抜糸の後の消毒、変わらず毎日の作業が始まる。

車椅子亜美ちゃんのリハビリを受けながら歩行器にて部屋の中を歩くのだが半分ぐらいでやはり右足も痛く、両足は無理なのでまたマッサージをしてくれ、今日も半分でした。

明日はがんばろう
posted by ほがらかさん at 14:37 | Comment(0) | 手術記

2006年03月29日Wed

16日目 シャワー許可

医師の診察の後初めてシャワーの許可が出た。30分間だが全身浴びるお湯の気持ち良さ、小原庄助さんをしたい気持ち。あーー快適だった。

ちょっとハプニングがあった。病院内交通事故(車椅子でリハビリ室に移動のとき)病室から急に看護婦さんが出て来て、衝突しそうになったので車椅子に急ブレーキをかけ、足も踏ん張ってしまった。
スリッパでなく底がゴムで出来ているリハビリシューズだったので余計に足に負荷が掛かった。

車の運転中なら確実にこら!!!と罵声を浴びせるところだが病院の中では怒ることも出来ずその怒りをどこに向けることも出来ずに足にダメージがあったらどうしょうと真剣に悩んだ。

リハビリで歩けなかったので予定を半分にしてもらう。夜の回診時にDRクルーニーからちょっと様子を見ましょうと診察してもらう。安心した。
posted by ほがらかさん at 14:36 | Comment(0) | 手術記

2006年03月28日Tue

15日目 抜糸

全部抜糸、一日で全ての留め金を外したので痛さはかなりであった。
その後消毒、でも傷口は固くて石みたいで触るだけでもとても痛い。でも痛さや傷は個人差があることをくれぐれも忘れないで欲しい。

リハビリも昨日と同じで亜美ちゃんの筋トレ前の筋肉をほぐすマッサージは痛いが涙が出るくらい嬉しい。
posted by ほがらかさん at 14:34 | Comment(0) | 手術記

2006年03月27日Mon

14日目 一連の筋トレ

半分だけの抜糸の予定だったが今日は無し。
明日の予定らしい。一般的には14日目に半分、翌日に半分の抜糸である。その後消毒。

リハビリは最初にマッサージをしてそれから一連の筋トレが始まり最後には杖にて歩くように練習した。やはり時間をかけたほうが筋肉も付いてくる。
一連の筋トレとはとにかく股関節を開くようにまたお尻をキュット引き締める、両足に錘をつけて上下する。
posted by ほがらかさん at 14:31 | Comment(0) | 手術記

2006年03月26日Sun

13日目 お花見

お花見が始まったのだろうか患者さん達にも少し話題が桜の花になる。

今朝はちょっと体が辛いかも。。。。。傷の痛みは引き連れるような痛さと傷口の延長の筋肉が自分で触っても痛い。手術した足の腫れは膝から下は少し引いてきたが膝上から太ももにかけては前日とあまり変わらない。

リハビリを兼ねて歩行器と車椅子で足を慣らす。
屋上庭園午後からは外気に触れるために庭園などを散策する。危ないので車椅子で回る。
13日ぶりに浴びる太陽はまぶしかったしチョットつめたい外気が体に心地よかった。

posted by ほがらかさん at 14:29 | Comment(0) | 手術記

2006年03月25日Sat

12日目 リハビリ疲れ

昨日のリハビリを頑張ったので朝から筋肉が痛い。
そして傷口にちょっと熱を持っているようだが心配する熱ではないので安心した。
posted by ほがらかさん at 14:27 | Comment(0) | 手術記

2006年03月24日Fri

11日目 杖でのリハビリ

杖初めて杖でのリハビリ室一周。






posted by ほがらかさん at 14:20 | Comment(0) | 手術記

2006年03月23日Thu

10日目 本格リハビリ開始

痛み止めもきいているのでしょう、嬉しい。
作業その他はいっしょだが股関節は順調に回復にむかっている。

本格的なリハビリの絞込みが始まる。本来はもっと速いよ、ほがらかさんの細胞はとても繊細なので痛いのよ、だから隣りの亜美ちゃんが盛量を加減してくれている。
posted by ほがらかさん at 14:18 | Comment(4) | 手術記

2006年03月22日Wed

9日目 病室の話

病室の中も説明しましょう、

朝6時病室や廊下全館が明るく朝がくるーーー。
看護婦さんの朝の訪問が始まり、検温、血圧、飲み薬のセットチェック、
8時ごろ朝食、

これが終われば食事はどのぐらい食べたか、排便、排尿は何回?、セットした薬は飲んだかどうか飲んだ薬の袋のチェック(つまり本当に飲んだかどうかのチェック。 抗生物質などは特に厳しいーーーだって飲まなきゃ意味無し) 
この作業は毎食後に行われる。

その日のスケジュールの説明、それにあわせて患者も用意する、
医師の回診、傷は毎日見てくれ、必要であれば消毒。今の消毒などはすべて密封されているガーゼやテープを使用するので感染の心配は全く無い。

手術後の傷は場所ながら目線が届かず解らないがもちろん細胞は若いほど組成が早いし、傷も癒える。 (共に個人差がある)

ちなみにほがらかさんの隣りのベッドの桜子ちゃんは同じ手術日で同じ病名で71歳だが医師の説明では骨年齢20歳、細胞年齢40歳、おまけに筋肉質、背も高いし、若々しい細胞は、そうだねーー40歳台かなだって。

先生の言葉に私71歳、率先して若さを強調する厚かましさ(これでなくちゃ若くしていられない)。 実に羨ましーーい。
傷はとてもきれい、痛みも無し、動作も機敏、このようなことが個人差である。

私は??と聞けば骨年齢は80歳、細胞はそれなり、生きてきた年齢はどうなのよ??
すの入った大根のようで骨の中はすかすかだそうだ。
きゃー助けてーーどうにかしてよ。(時すでに遅し)

昼は11時半頃で、其の後はチョット自由の身である。
午後からは家族、友人のお見舞いがありちょっと病院の中は悲喜こもごも。

夕飯は6時規則正しいよね、これだけ管理されていると退院しても自己管理が難しい。
カロリーは1600ぐらいに抑えてあると思うが内容豊富で栄養バランス抜群です。

検温、血圧を計り看護婦さんたちが用意してくれる暖かいタオルで顔など拭いて9時に消灯、やっと自由の身??(一番開放的な嬉しい時間)
posted by ほがらかさん at 14:16 | Comment(0) | 手術記

2006年03月21日Tue

8日目 自主筋トレ

足が痛いと連発、信じてもらえないかもしれないが本当に痛いのよね。
相変わらずベッドでは同じ姿勢です自分で太ももの痛さを和らげる為にマッサージをする。

朝から自主筋トレに精を出す。出来る範囲の筋トレはベッドの中で足を伸ばしたり、曲げたり、足首をストレッチしたり、お尻をキュと上げる運動を30分位した。
posted by ほがらかさん at 14:14 | Comment(2) | 手術記

2006年03月20日Mon

7日目 リハビリ室の話

術後14日まではまったく同じ姿勢の▲枕を使用して姿勢を保たなくてはならない。
当然消毒は必要な人にはありますが、一般的には透明医療用テープを張って傷の様子を見る

リハビリ室の様子も御知らせします。愛情を込めてニックネームで登場です
・レオ先生 = リハビリ科の医師 肥満体形を絵に描いたような笑顔のかわいい先生
・鬼軍曹 = リハビリ室長 リハビリ室を見渡し、患者に危険が無いかどうか満面??の笑顔で見守って下さる人
・お隣りの亜美ちゃん = 我が家の隣りのお嬢さんで理学療法師

入院前にレオ先生の診断を受け術後にどのようなリハビリをするか速やかな歩行が出来、無駄な動きが無いように事前に判断をする為です。

歩行のための重力、関節の曲度、ストレッチ等を器具を使用して、その結果をパソコンで見ることが出来るので自分の歩測がどうなっているのか等を見、レオ先生から少し体重を落として下さいと注意があった。
でもねー先生はどうなのよ優に100超えているよ???

そうそう、隣りの亜美ちゃんは本当に経験豊富な理学療法師でとてもかわいい女の子??でブログには初登場です。

亜美ちゃんは最初そう、ほがらかさんそれは痛くて気の毒でしたね一緒にがんばりましょうね? とまではいいのですが全くもって小姑のごとく容赦なく筋トレをし、叱咤激励します。かわいいのにねーーー(影の声????)
でも亜美ちゃんのおかげでまともな足になりつつあるのです。亜美ちゃんありがとうね。

リハビリ室には実にいろんな病気の人が再起をかけて健気にリハビリに励んでいる。
ハンデイキャップのある方達をあーー偉いなー早く再起して下さいと祈りつつ、五体満足な自分を神に感謝し、これぐらいの痛みで人の手を煩わすなんて恥ずかしいな出来る限り人の手を借りず生きていこう。
posted by ほがらかさん at 17:13 | Comment(0) | 手術記

2006年03月19日Sun

6日目 主婦の鑑

歯磨き、顔を洗い体もふきベッドも直し主婦の鑑にもどれたようだ(本当かな) 初めてテレビを見た。起き上がり外の光景を何日ぶりに見るのかなーーと感慨深く見た。

相変わらず足には同じ▲マットや股棒を使用している、これって結構足につらいなぜなら同じスタイルを保たなくていけないので寝返りが打てない。背中が痛いがリハビリでその治し方を習得する。
posted by ほがらかさん at 17:02 | Comment(0) | 手術記

2006年03月18日Sat

5日目 尿管撤去

やっと尿管が抜かれる、自力での排便の素晴らしさ、本当に生きていてよかったよーー。
食欲も湧き、熱も下がりやっと人間らしく一人立ちしたが痛みの為にベッドに括り付け。
posted by ほがらかさん at 17:00 | Comment(0) | 手術記

2006年03月17日Fri

4日目 硬膜外麻酔菅撤去

点滴、脊椎の硬膜外麻酔の管が抜かれる。

硬膜外麻酔があると痛いときに自分でフラッシュ(押し出すこと)して痛みを和らげるのだがほがらかさんの場合にはもう空っぽ。
もう少しおいてくださいよと頼んでも麻酔液がないので役にたたない。   あーーそうかこんなに痛かったのだなーと納得。

リハビリ室でのトレーニングが始まる、最初はマッサージをして筋肉をほぐしてくれそれから始まるので本当ならば痛くないはず。   しかし気絶寸前。
お願いだから今日はマッサージだけで返してよ。 リハビリ室 とんでもないと速却下。
posted by ほがらかさん at 16:58 | Comment(0) | 手術記

2006年03月16日Thu

3日目 ダイエットが必要な訳

まだ同じ状態でベッドの上、一般の人は当然朝から食事が出るがほがらかさんの場合には痛さの為に食欲無し、食べる気力さえ起きない。
点滴、抗生物質は継続。

手術着からパジャマに着替え、シャンプーも体もきれいに看護婦さんからのプレゼント。

ダイエットが必要だった訳

ほがらかさんの場合、体重65キロ身長150だからその脂肪質は一般の人より30%以上多い。そのために一般より深くメスが入り傷口もまっすぐではない、若干斜めから傷口がある。

DRクルーニー先生から体重を落として筋肉質に変えてくださいよ、 もっと痩せてくださいよと言われ続けたが意志薄弱で仕方が無いと思っていた。が結論は脂肪が多いと手術が困難で出血も多く、かなりの痛みを伴うとの事。この悪夢的な痛さはその為だったのである。

他の医師から影の声として注意を受けたが聞いたときは頭が真っ白になるほど驚愕した。
痛さの原因はその脂肪質の為に深くメスが入り、当然出血も多く、又縫合も細胞が脂肪質なので深く縫い合わされる。 肉を焼けば身のところはきれいであるが脂肪はかなり溶けているよねーー 結局はあの状態だと思う。

絶対的に体重を落とす必要が上記の理由だったのなら、それをはやく自分なりに察知していればどんなことをしても痩せたのに??
悔やまれるなー(ほんとうかいな)
posted by ほがらかさん at 16:57 | Comment(0) | 手術記

2006年03月15日Wed

2日目 必須・便利アイテム

同じ姿勢でベッドに括り付けです、抗生物質、栄養などの点滴をしながらですが得てして貧血のある場合には術前に採血した自己血を戻すこともある。
熱も38度以上出る場合もあるが心配は無い。抗生物質もよく効く。

三角枕(病院常備)
三角枕三角枕が何故必須アイテムなのか
両足の間にはさみ、左右のベルトで両足を固定する形になりますが、股関節の形やずれ、または間接の外れることを防ぐため。


砂袋(病院常備)
砂袋これは三角枕の上に載せる錘です。1個4Kgあり1〜2個乗せて、三角枕が動かないようにします。


又棒(寝具売り場では多分抱き枕)(病院常備)
また棒煙突みたいに関節の間に立て使用する支柱のような枕。三角枕よりももっと又に近いほうに関節を保護するために入れておく。


弾性ストッキング(ANSILKと書いてある)(購入)
弾性ストッキング白くてストレッチの強烈なナイロンストッキング、効用はエコノミー症候群(血栓予防)にならないように手術当日に履き、術後フットポンプで足の裏にヒットするときに履いている。症状により4〜5日履く必要がある。


リーチャー(病院で作成)
リーチャー下に落ちたりチョット手を伸ばせないところなどを桐の枝の先についているフックを使用し体を前後しないように股関節を守る。


ソックスエイド(病院で作成)
ソックスエイド自力で靴下を履くときに大活躍する優れもの、このガーターに靴下を履かせ、その中に自分の足をいれガーターを引っ張り上げる。抜けるときに靴下はチャンと履けている。
自力で靴下が履けない人には絶対に欲しい品、玄関と寝室にあれば尚嬉しい。
posted by ほがらかさん at 16:56 | Comment(0) | 手術記

2006年03月14日Tue

手術日 気付いた時は病室

朝、食事無し、排便などを済まし、手術服に着替え8時に病室を出て手術に挑む
この手術は本来の麻酔と脊椎にする硬膜外麻酔との併用で痛さは感じないそうです。

現にほがらかさんと同じ日に同じ手術をした同病のほぼ同じ年代の女性は全く痛みを感じなかったそうで痛くも痒くもかなったそうです。
約5分ぐらいで麻酔は効き、気が付いたときは病室で痛いよ、痛いよと叫んでいたようだ。

その日一日は点滴のみ、食事は翌日の昼頃からです、症状によります。
ベッドに両足を広げ、▲枕を入れその枕に足を括り付けて最後に錘をし足を固定させる。これは拷問に近いけどこのおかげで大切な入れ替えをした人口股関節を守っている訳だ。

一般的な手術方法は足の付け根の外側を7,8センチ開け、股関節を取り出し人工と取り替えるのですが最近の医学の進歩は素晴らしく人工股関節の取替えをより成功させる為にナビゲーションがあり、その電波を飛ばすアンテナを立てるための小さい穴が2箇所ある。

傷も小さいので回復も痛みも最小限度に抑えられているようだ。
もちろん輸血が必要な場合にも事前に採血した自己血を使用するので感染の心配は無い。骨には神経が無いので関節、または筋肉などの痛みだそうです、ちなみに一番痛くない手術は心臓だそうです。
posted by ほがらかさん at 00:46 | Comment(11) | 手術記

2006年03月13日Mon

左人工股関節手術入院

さて、これからが本来の実況報告です。
ナビゲーション手術による左足人工股関節全置換手術です。

前回と同じように1ヶ月かけて準備をし、術日前日に入院です。
入院と同時に同じ説明と手術承諾署名をし、静かに翌日を待った。


人工股関節置換術

従来の手術法では15〜20cmの傷を必要としましたが、近年日本でも行われるようになった、ナビゲーションシステムを併用した6-8cmの小さい傷が1つの人工股関節手術です。筋肉や皮膚へのダメージが非常に少なく、早期に日常生活へ復帰できるような体にやさしい手術です。
この手術法によって、アメリカでは入院の必要のない日帰り手術が可能になりましたが、ほがらかさんのクリニカル・パスでは3週間の入院プランです。

人工股関節人工股関節置換術は、大腿骨側と骨盤側の2つに分かれ、コバルト・クロム合金やチタン合金などの金属で作られています。骨盤側は、通常、金属製の殻のなかにポリエチレン製のカップが装着された構造になっています。人工関節を骨に固定する方法は、人工股関節と骨が直接結合する方法が採られています。


ナビゲーションシステムによる手術支援

手術前の CT 検査結果をもとに股関節の形を立体CTに取り込み、使用する人工股関節の最適のサイズと位置をコンピューターが自動的に計算します。

このデータを手術室に設置されているナビゲーションシステム機器に読み込ませ、手術中に赤外線三次元位置センサーとマーカーを設置することで、骨を削る位置と深さや、挿入中の人工股関節の位置を追跡し、股関節のどの部位を処置しているかをモニター画面で確認しながら手術を行います。股関節に対してコンピューターが正確に安全に誘導してくれるシステムです。
posted by ほがらかさん at 00:46 | Comment(0) | 手術記

2006年03月12日Sun

右人工股関節手術を終えて

先ずはかなり擦り減っている右足の手術日(2005/11/1)が決定しその準備に一ヶ月位必要でした。血液検査、尿検査、かなりのレントゲン検査、自己採血(手術時に必要な場合の輸血のため)

いよいよ手術日、早朝に主人のがんばれよとの激励の言葉を後にし手術室へ。

テレビの医療ドラマのごとく同じなのかどうかしっかり見ておこうと思ったのは束の間で最初の麻酔(硬膜外)始まってすぐにバタンキュウ全く覚えなし、気が付いたら病室で聞いたことのある声に驚き、痛さの為に悶絶、気絶寸前だった。

痛いの痛くないのそれはそれは地獄のような痛みに泣いてしまった。だって先生の全くと言っていいほどの痛みは有りません、 なぬ、この痛みはお産より痛かった。

術後10日以上経過しても痛みは和らずリハビリも遅れてしまっていた。
DRクルー二ー先生は何でそんなにいたいのかなーと暗黙の疑問をきびしく??投げかけてくるし、私は何故こんなに痛いのよと疑問を投げかけるしちょっとバトル状態の火花が満天の星です。

術日を含め15日後の抜糸が終わる頃やっと痛みが和らぎ、ほがらかさんの本来の美しさ(おとと)は戻ったのであります。
リハビリも順調に進み痛みも日の物と言われて27日目に晴れて痛いながらも退院できた。

ついでのおまけの馬の飼葉のごとくジェネラル薬品忘れずに食べるのよと病棟の小姑達につまり看護婦さんですがきつーーいお達し頂きながら)皆さーん本当にありがとうね

かれこれ最初の手術から約5ヶ月、右足は車の運転も難なくこなす仕事人です。
posted by ほがらかさん at 00:39 | Comment(4) | 手術記

2006年03月11日Sat

手術の決心〜期待と不安

ほがらかさんが両足の人工股関節の手術を決心したのは、1昨年勤務していた外資系の薬品会社が売却され、さてどうしょうかなと身の振り方を考えている時、『ほがらかさんそろそろあんたの足の切り替え時だよ今がその時だよ、58年間真面目に生きてきた御褒美だよ』ってどうも神からの声が聞こえました。

私の両親は、概に天国が有るのかどうか知らないけどそこで生活をしているので、ハイテクの通信技術を駆使しても(つまりインターネット等々)、原因や生まれたときの状況を聞くわけにはいかず想像からの初診から始まりました。

記憶にあるほがらかさんは、小さいときから足は速く泳ぎもはやく、短距離等ではいつも補欠に入るくらい速かったよ。

20代で2人の子供を産んだ後、体重が15キロ増えそのまま30年を経過している。
自分でも驚き、桃の木、山椒の木で出産のあとは考える余地もなく元の体形に戻るのだとおもっていたのよねーーーー知らぬとは恐ろしい事ですぞーーーー、

出産のあと退院する時の洋服なども、一応レデーですからかわいい赤ちゃんを抱いた若いお母さんを想像して、初々しい白いパンタロンスーツ(古いねー)を選び用意して、
主人に退院のときはこれをもってきて下さいよねーーーー2度くらい間違わないでよーーーーと念を押しながらハンガーにかけておきました。。。。。。。。

ここまではまーよかったのよねー。普通のことのように思うでしょう?
しかしながら結果は無残にも入院の時に来て行ったマタニテイードレスで、不思議を絵に描きながら帰ったのです??。 このニュアンスの解るお母さんどうぞ笑って下さいませ。

それからは体重の増加との戦いです。
ねーねーちょっと聞いてよわたしねー今ダイエットしているのよ、とちょっと自慢下に言ってみたり、しかしすぐ元の木阿弥です。なんと浅はかなことか。。。。。。。。。。

今だにこれは解決できず、自分の意志薄弱を目にして呆然となっています。まーーいいかそのうち痩せるよ、絶対に痩せるよ。…と思いつつはや30年、この重荷はとれなくてあの世とやらまで引きずっちゃうかもしれません。
posted by ほがらかさん at 00:37 | Comment(4) | 手術記

2006年03月10日Fri

主治医 DR.クルー二ー先生

紹介された医師を秀ちゃん先生の母上と共にたずね、診察を受け上記の診断を受けました。ハリウッドスターに似た端正な顔立ちの素晴らしい主治医です。

今すぐ手術をしなくても良いけどいつ手術をしても良いくらい悪いです。私は青くなり病院から帰るときは吐き気がしました。 いやーーーもう驚きです。

時が経ち、会社が売却になり、そのときは熟したんだと思って急いで先生に手術の決心をお願いしに、先生の診察を待つこと約3時間???
やっとその番が来て、先生やっと決心が出来ました。先生の都合の良いときにばっさりと・・・・・と言い終えるまでも無く、

あら、ほがらかさん、僕はこれからアメリカに転勤ですから、帰るのは一年後??????どうして?どうして??こんなに良いチャンスはないのにーーーと思ったけど
そうかもう一年自分の足で歩きなさいよと見えないところで神様が余裕をくれたんだと良いほうに解釈しました。

とにかく先生の帰国にあわせて診察日も予約していました。
何とDRクルー二ー先生の帰国の待ち通しかったことか。でも神様って結構いたずら好きだよねーー

約束から4ヶ月も遅れて帰国、その嬉しかったことをいまでも忘れない。
あーーやっとこの痛い両足ともお別れで、いよいよ新しい健康な活きのよい、ぴんぴんした足にかわるんだなーーーとでもチョット待ってよ、私だって59年の足の重みに感謝したよありがとうって。よくぞこの重みにたえてくれたねって。
posted by ほがらかさん at 00:36 | Comment(0) | 手術記

2006年03月09日Thu

秀ちゃん先生の励まし

秀ちゃん先生は、我が家の長男の幼馴染で素晴らしい若い医師。
我が家の長男と同じ幼稚園からお付き合いが始まったのです。が先方のご子息は一年だけでインターナショナルな教育を受けるべく横文字の学校へ・・・・・・

すべからず世界各国の素晴らしい学校で最高の教育を受け、本当の意味での国際人。しかも僕は日本人だから、大学はどうしても国立大学医学部でとそれも簡単にやってのけ約20年間の国際社会から帰国??し、
侘び寂の世界をしっかりと受け継ぐ、お醤油の国の人です。弁も立ち話題も豊富で一目どころか3目位おいています。私にとっては本当に本当に自慢のよそ様のご子息なのであります。

彼は独身か?って・・・・・そうねえ例え10人の未婚の素敵なレデーが居たとすれば10人のレデイーが選ぶであろう程のナイスガイでイギリス式のマナーを備えた紳士である。

特に感心したのは、人をエスコートする時の何方に対してもその何気ない仕草、思いやりに教養の高さを垣間見ました。  {はーさすがと感服した次第です}。

私の教育持論は生きた常識、または生きた良識と思っています。
が、残――念――ながら見目麗しい奥様と共に医学の道に邁進しています。

子供達も結婚して、深い信頼とたゆまぬ友情を育んでおり、親として本当に嬉しいそして感謝している。いつまでも仲良くして欲しいと常に願っています。


“おばさんねー、僕の知っているピカイチの先生を紹介するから絶対に足を見てもらってよ。。。。痛い思いをするより本当に簡単だからね。。。。。。。本当だからね・・・・・・

足の長さが3センチ、大目に見て4センチまでだからね、、、、両足そろってきちんと歩けるのはこの長さを逃すともう元のようにハイヒール族は無理だからね。。。。。。。

な、なんときついお言葉でしょうかしらね。。。。。。と思いましたが。。。。
そうか、そのように注意してくれる秀ちゃん先生のやさしさに、感謝と嬉しさを覚え生涯手術はしないで車椅子で一生を終えるつもりで、自宅のリビングも開放的に作ったけど、だったら一年発起でこのチャンスにかけようと思ったのです。
posted by ほがらかさん at 00:35 | Comment(2) | 手術記

2006年03月08日Wed

病名は両足変形性股関節症

今回この厄介な足を人工に手術するためにネットなどで探してみましたが、最新版の文献がなかったので、ほがらかさんが実際に足を切り人工股関節に換えた事の実況報告試みました。
もちろんこれをネットオープンするに当たって、主治医の先生の許可をもらいました

諸先生方の、医学に対する飽くなき挑戦と病の撲滅をめぐり日々大変な努力をされていることに、心から感謝申し上げますと共に、ほがらかさんの手術を決断するまでの経過や手術の状況、術後のリハビリの様子などを紹介します。


変形性股関節症

変形性股関節症は、股関節の形の異常が原因となり、長い間に股関節の形が変形していく病気です。変形は老化によっても起こりますが、ほとんどが先天性股関節脱臼や先天性臼蓋形成不全によるものです。
関節のクッションとしての役割を担い滑りをよくしている関節軟骨が傷つき磨耗して、骨が破壊もしくは増殖を起こしたために生ずる病気です。
症状は、痛み、動きの制限、跛行です。

発症すると、加齢とともに徐々に悪化し、しかも、いったん変形した股関節を発症以前の状態に戻すことはできません。したがって、病状の悪化を出来る限り遅らせることが治療の目的になります。

よりよい治療効果を得るためには、痛みがなくても定期的に専門医に受診をして経過を観察しながら、適切な時期に適切な手術を受けることが重要です。
posted by ほがらかさん at 10:20 | Comment(15) | 手術記